Renaissance Art (AP Euro Review)
(video inspired by god of star)



(Critical view to Existentialism of Shariati is correct in view of true gods)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant of Mitsuki in whole life.
This part is Existentialism and Marxism in view of Shariati.
Critical view to Existentialism of Shariati is correct in view of true gods.
Marxism for Shariati was Soviet of twenty century Marxism.
Twenty century Marxism was not Marxism.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトは,人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
この部分はシャリアティからみたマルクス主義と実存主義です。
シャリアティの実存主義批判は真の神々からみて正しいです。
シャリアティのマルクス主義は、20世紀のマルクス主義のソ連でした。
20世紀のマルクス主義はマルクス主義ではありませんでした。




4、西洋における無神論ヒューマニズムの発展
ブルジョア自由主義、共産主義、実存主義 

(1)神から良心へ 西洋無神論ヒューマニズム

 以上に見たように、シャリアティによれば、イスラムにおいては人間は材料の泥土に神の精神を吹き込まれた存在であり、互いに引き合う無限の低さと無限の高さの中に位置している。
神=天の高みに向かって歩むか、最低の極である泥土に向かって進むかは個人の実存的決断によっている。
その時、神は、神の精神を吹き込まれた人間の進むべき方向性を示しているものであり、神・人間関係は敵対性を持たない。
したがって、人間の尊厳性、高貴性は、神=天の高みに向かって歩む人間の生き方の中に表現されているものであり、人間の尊厳性と高貴性の実現のために神の否定に至る必要はなかった。

 ところが西洋思想史においてはギリシャ神話における神・人間の敵対的関係ゆえに人間性の尊厳の追求(人間主義=ヒューマニズム)は、神に対抗するものとして存在した。
そしてそれはブルジョア自由主義思想の段階で神の否定まで至り、神を良心に取って代えた。
この近代無神論ヒューマニズムは、人間性と道徳的良心への信頼をその思想の根本的な基礎としているとシャリアティは指摘する。

 「18世紀の新ヒューマニズムの著名な知識人は、『道徳の基礎として神を横におき、神を良心にとってかえる』と宣言した。
人間は彼の内側に道徳的良心をもっている存在である。
人間性と道徳的良心に対するこの信頼は、今日の西欧の無神論のヒューマニズムの根本的な基礎をなしている。」[66]

 このように神を良心に代えたこと、すなわち人間の表現の中で最高の極、最高の価値を象徴している神をのかわりに、人間の内側に道徳的良心が存在するという信念をもってきたことが、西洋無神論ヒューマニズムへの転換点であった。

 ところが、神に代わる人間性に内在する道徳的良心という超越的価値への確信は、科学的分析の時代の到来、とりわけ社会学の発達でゆらぎ、そして否定された。
道徳的良心は人間的自然の深みから来るものではなくて、人間の社会環境にもとづいて変化する側面をもつ社会的良心に転化した。
聖なる超越的価値としての道徳観は消えていった。

 しかし、それにもかかわらず西洋ブルジョア自由主義、マルクス主義、実存主義などの無神論ヒューマニズムは、人間性が道徳的美徳、高貴性、超物質的価値をもっているという考えに基礎をおく以外になかったとシャリアティは考える。

 「このヒューマニズムは、人間の道徳的価値を全体として宗教からとっている。
しかし、人間のモラルの宗教的理論的根拠を否定すると同時に、神の信仰なしの道徳的美徳に固執して精神的発展の可能性を主張する。」[67]

  (2)西洋無神論ヒューマニスト=マルクス

 シャリアティは、マルクス主義についても神・人間の敵対的関係性の中から人間の尊厳性を追求してあらわれた西洋無神論ヒューマニズムの伝統を引き継いだものとしてとらえる。
したがって、神に代わる人間性に内在する道徳的良心という超越的価値への確信をマルクスの言葉の中に見いだす。

 「マルクスが人間性に関連して唯物論を論ずる時ですら、彼のトーンは道徳主義者を思い起こさせる。
なぜ唯物論が共産主義の基礎であらねばらないかを説明するところで、彼は唯物論に宗教の分野、ないしは少なくとも道徳哲学の分野の性質を付与する。
彼はマルクス主義者の社会学に理想主義的な特色を与える。
『唯物論が、内在的善良さ、すべての人々の間に知性の平等な才能、経験と習熟のための崇高な能力、そして幸福のための人々の平等の権利を学ぶことなどの観点のために、必ず、共産主義と社会主義と結合することを見るにはそれほどの洞察を必要としない。』」[68]

 マルクスの唯物論的人間観は、すべての人間が内在的善良さ、知性への平等な才能をもつこととする理想主義的なものであった。
さらにシャリアティは、マルクスがプロレタリアートの人間性の尊厳を守るためにキリスト教を攻撃する時に使う言葉は、宗教的道徳のそれであると指摘する。

 「人間性の防衛とプロレタリアートを称揚しながら、キリスト教を攻撃するところで、マルクスはクリスチャンのトーンを装い、宗教的道徳もしくは道徳的理想主義の著作に共通に用いられる言葉を使用している。
『キリスト教は・・・すべての恥ずべき資質を説いている。
労働者はこれらの堕落を受け入れることを拒否して、より大きな勇気、自己尊厳、誇りを持ち、パンよりも独立を熱望する』これはいったいマルクスがプロレタリアートについて語っている言葉だろうか。・・・
 人間の疎外について語る時、マルクスは、他の創造物よりもより高貴な人間性の神聖な本質、超越的で自由な性質を称揚する精神的ヒューマニストである。
『労働者が彼の仕事によりささげればささげるほど、より強く彼によって作られた相いれない世界となり、より彼の個人自身、彼の内的世界においてより貧困となる。
これは宗教についても等しく真実を保つ。
人間性がそれ自身を神にささげればささげるほど、自分自身に属するものは少なくなる』
ここで、マルクスが内的世界と外的世界の区別を受け入れていることが分かる。・・・
彼がここで、『独立した』ヒューマニズム-彼自身の言葉では、神、社会、自然に対して『自己存続している人間的自然』-を守っていると明確に感じとれる。
マルクスが宗教を攻撃する時、人間を精神性においてなおより高いものとして称揚する。
あたかも人間が創造者自体もしくは聖なる存在であるかのように。
ところが、本来、すべての聖なる絶対的な道徳的価値の体現である神は、人間の聖なる超越的本質の反映なのである。」[69]

 シャリアティは、このようにマルクスとエンゲルスが人間について書いたすべての著作で、人間は「高潔な資質」「崇高な永遠の価値」を持っているものとして描いていると言う。
シャリアティによれば、マルクスのヒューマニズム思想は、直接、間接に宗教、神秘主義、道徳的哲学、とりわけ17世紀のヒューマニズムと19世紀初期のドイツの道徳的社会主義に由来していると言う。

 したがってイスラムにおける神の精神を吹き込んだ地上の代理人としての人間の把握同様に、マルクスは人間性に神の精神ならぬ「熱望、自覚、真実、誇り、自由、知識、道徳的美徳」[70]を付与し、人間が本来的にそれらの実現をめざしてやまぬ存在であるとする人間観をもつ無神論ヒューマニストなのである。

 シャリアティによれば、マルクスが無神論ヒューマニストとして事実上、人間が超越的で聖なる資質をもつものとして論じているその人間観は、実は、宗教思想に由来するものだったのである。

 「マルクスが人間の自由の防衛に立ち上がる時、空想的なプラトニストの哲学者、道徳家、着物の人(聖職者のこと)かとと思えるような神秘的トーンを帯びる。・・・
資本主義体制を呪う時、マルクスは、崇高な本質としての人間の真実が、この制度によって汚され、制限されてきて、恥ずべき価値が人間的な価値にとってかわっているという考えに依拠する。」[71]

(3)地上の神から経済の産物へ

 このようにシャリアティによると、マルクスは、事実上、人間が超越的で聖なる資質を持つものであると考えていたのである。
そしてマルクスが人間の「永遠の崇高な価値」として付与した内容としては「自由であること、思考すること、選択する力があること、自然と歴史と社会において物質的原因を越える『独立した原因』であること、そして正直であり、勇気があり、創造性があり、信念に対する自己犠牲的用意があり、博愛の精神があり、他人に対する責任感があること」[72]を列挙している。

 しかし、このような地上の神とも言うべき精神をもった人間は、マルクスの弁証法的唯物論によって経済の産物に転化してしまう。

 「しかし、哲学者マルクスが沈黙するやいなや、彼のなしとげたすべてをもとに戻す。
彼は神の王座に座っていたこの存在をとりあげ、そして地面になげつける。
神そして自分をつくった力強い創造者は、あるいは自然を彼の自己意識、支配する意思に順応させるように転換させた力強い創造者は、突然、彼自身の経済的道具、弁証法的唯物論の不可避の産物によって作られたものに転化する。
この道具は商品と人間という二つのものをつくる。・・・
社会学者のマルクスは、哲学者マルクスの『人間が神になる』性質を『人間が商品になる』ことに転換した。」[73]

 マルクスの理論である弁証法的唯物論において地上の神としての人間性が、経済と歴史の産物としての人間性に転化した。
マルクスの理論において人間性は永遠の価値を持つ側面を失い、歴史と経済の産物として可変的なものに転換する。
人間についての永遠の価値規準から社会制度の不合理を論難していたマルクスが、弁証法的唯物論による可変的なものとしての人間性を把握している矛盾をシャリアティは指摘する。

 すなわち、イデオロギー的、文化的、道徳的価値が経済的下部構造に照応する上部構造に属するものであり、人間が使う生産用具が生産様式を決定しているのなら「人間性は、上部構造と労働形態の産物であるこれらのイデオロギー的、文化的、道徳的価値の集合的以上の何かなのか。」[74]と哲学者マルクスにとって不変的であるはずの人間性が労働用具の発展にもとづく経済的下部構造に規定される歴史的産物としての可変的なものに転化してしまう矛盾を指摘している。

 さらにマルクスの「経済学批判」の序言を引用しながら、次のように指摘する。

 「もっとも驚くべきことに、経済学においてマルクスは資本主義、搾取、階級矛盾、私的、社会的所有を哲学者マルクスとまったく異なったふうに提出する。
経済学者マルクスの観点では、資本主義は、非人間的であると呪われる状況にはないが、今日、存在が不可能になっているにすぎない。」[75]

 すなわちある生産関係は、その内部で生産力が成熟して、生産関係の変更の必要性が高まるまでは、それがいかに非人間的であっても、生産力の性格に照応する限り存在の合理的根拠を持っているのである。
したがって、マルクス、エンゲルスが、資本主義の基本的矛盾であるとした私的所有と生産力の社会的性格の間の矛盾の理論などについて、次のように批判する。

 「人間の歴史、社会、生活、文化、思想、理想をこのように分析した上で、資本主義の秩序は人間性の道徳的腐敗に導くということは何を意味するのか。・・・
マルクスが社会と歴史をこのように・・に分析するかぎり、彼の言葉が手工業と農業の時代において真実と抑圧と正義、自由、奴隷について語るとき、空疎以外のどのようなものでありうるだろうか。」[76]

 ある生産力に照応しているがゆえに生産関係が正当な合理的な存在根拠を持つとするならば、正義のために闘うすべての人々(救世主、リーダー、そして奴隷制、封建制、搾取、私的所有の抑圧体制、迷信、停滞的宗教に対して、闘っている大衆)は、本質的に虚しく闘っているということになるとシャリアティは主張する。
古代や中世の人間が、もし科学的社会主義を理解していたら、その生産関係が、その内部で運動する社会的生産諸力に照応しているかぎり、それが非人間的であっても経済的下部構造に合致しているので受け入れざるをえないことになる。

 「彼らは(労働を集団化させるであろう)約束されたメシア=機械の出現を根気強く待たなければならない。
弁証法的な奇跡を通じて、宗教によって約束された天国は、工業的資本主義社会の内部に実現されるだろう。そして人間は満足した神としてそこで生活するだろう。」[77]

 科学的社会主義の理論は、機械制大工業の発展の中に労働者階級解放の条件を発見するものであるから、真の人間解放のためにはメシアすなわち機械制大工業という生産様式の出現を待たねばならないという理論構造になっている点をシャリアティは指摘している。

(4)人間の尊厳の論理的基礎を持たない西洋無神論ヒューマニズム

 なぜ、マルクス主義が人間に対する一連の神聖な価値を認め、またすぐに人間から取り払わねばならなかったか。
それはマルクスが人間性に属するものと考える道徳的価値と人間の性質の高貴性が、論理的で科学的な基礎を持たないからであるとシャリアティは次のように考える。

 「マルクスとエンゲルスは、人間性を把握するにあたって物質的客体あるいは自然的存在として見る機械的唯物論に求めず、自分自身の努力よって、矛盾と対立を通じて『生成』の過程における現実としてみるヘーゲル弁証法に求めた。
もし、ヘーゲルの弁証法なら自然と物質に関して、人間は最初の原因でありうる高貴な要素をもっていた。
しかし、マルスはヘーゲル弁証法を『ひっくりかえし』、思想に対して物質に優先性をあたえて唯物弁証法とした。
『頭で歩いているヘーゲルの人間をその二本の足で歩かせることを可能にした』とマルクスは考えているが、あるムスリムの作家が述べたように『人間は本当は、彼の頭で歩いている存在ではないのか。』」

 このように弁証法的唯物論は唯物論であるがゆえに結局は人間の道徳的価値や人間の尊厳性、高貴性の科学的、論理的根拠を示すことができないとシャリアティは考える。

 さらにマルクスが、古代ギリシャの哲学者のヘラクレイトスの「万物は流転する」を彼の弁証法的唯物論に援用していることに対して、次のように批判する。
「ギリシャの哲学は、すべてを生成過程においててとらえるけれども、明確に二つの普遍の原理を提示している。
崇高な実体、それを彼は『火』とよぶ。
そして普遍の論理的秩序をそれをかれはロゴスとよんだ。・・・
これらにおいて二つの不変の原理はどれにも存在する。
一つは、完全にむかう宇宙の動き、他は、宇宙を支配する聖なる本質、永遠の精神。

 けれども、マルクスは、この二つの原則の存在を否定しながら、そしてただ矛盾にもとづく絶対的転変性のみをうけいれた。
したがってヒューマニズムもしくは永遠の人間的道徳的価値にかわる地位を維持することはできない。」[78]

 マルクスは人間の尊厳を追求し、道徳的価値が付与されている人間性の把握をしていたが、存在の唯一の原則が変化というマルクスの弁証法によって道徳的価値も所与の生産体制に従って生成消滅する物質的属性としてマルクス主義者の論ずる文脈に現れることになってしまう。
そこには原理はあらわれない。
神の高みに向かって生きてゆこうとする不変の人間性を論理的に根拠づけることができないとシャリアティは考える。

 「マルクスは善は人間の生まれつきのものであるといっている。
しかし、第一に何が物質的宇宙の善なのか。
そして第二に、すべてが生成過程にあるこの流れにおいて、不変の性質を語ることはまったく反弁証法的である。・・・
イスラムは、生成と衰退の軌跡としてすべての事柄をかたるけれども(自然の科学的経験にもとづいて)、不変と生成の存在の側面があることを信じている。
どのようなものがそれと並んでいようとも、宇宙に永遠にとどまりつづけるように。『神の方向に導かれていくもの以外は、すべて死ぬ』コーラン28-88」[79]

 ただし、「物質的世界の何が善か」という規準についてマルクス主義においては、生産(タウリード)と社会の発展にそって生きるという物質的規準が与えられている。
しかし、この物質的縛りを失った実存主義においては、その善悪の規準が最大の問題点となる。

  (5)実存主義と善と悪

 カソリシズムの神・人間の敵対的関係の中から西洋無神論ヒューマニズムが成立した。
それは、人間の尊厳性を追求していく中でブルジョア自由主義、マルクス主義へと展開してきた。
第二次世界大戦後、西洋では宗教から切り離された世代が、資本主義に不満をもち、共産主義の現実に幻滅した世代が、実存主義にひきつけられた。
その中心のサルトルについてシャリアティは言及する。

 「人間を経済的動物として再構成する資本主義。
人間を組織された事物の客体としてみるマルクス主義。
見えない傲慢な力(神の意志)の無意識の人形として人間をみるカソリシズム。
人間を生産手段による決定論的な無意識の人形として見る弁証法的唯物論。
これらと比較して、実存主義は人間を神の性質を持つものとみなした。
それは人間に崇拝の目をむけた。

 『この世のすべての存在は、人間をのぞいて、その本質が決定されたあとで、その実存を実現する。
人間は彼の実存にしたがって彼の本質をつくる』
木やしゃべるオウムはその実存に先行するだろうことは明白である。
しかし、人間は、最初は『彼が何になるのか、彼が彼自身を何に作るのか、何を彼の本質のために選ぶのか』について不明確な実体である。
人間は、それゆえ、神の創造物ではないし、生産手段に依存するものもない。」[80]

 このような、人間の意志と決断に基づく選択で自分の本質を形作っていくという実存主義が人間に与えた人間の優位性にシャリアティは共鳴する。

 ところが、シャリアティによればサルトルの実存主義の第一の問題は、選択の決断の際の基準をどこにおくのかということである。
人間が自由意志をもって選択しつつ、自らの本質を形成してゆくとするならば、自由に選択するときの価値基準をどうおくかという問題がおきてくるのである。
ここで神と悪魔、善と悪の基準をどのように設定するかが実存主義に問われることになると考える。

 「人間は彼自身を彼の行為でつくる。
 何が『彼自身の行為』で意味されるか。
 一言で選択である。
 何が『選択』によって意味されるか。
 人間の自由意志
   ・・・
 この点で、われわれは、神と悪魔(道徳)の同じ古い問題がおきているのをみる。
もちろんは、サルトルは十分その問題に気づいていた。
そして述べている。
なにが善で何が悪か。
 弁証法的唯物論はこの問題に答える必要がない。
神学、唯物論者などの決定論はそうする必要がないからだ。
人間の自由選択という事実においてのみ、何を選んだか、なぜ選んだかという責任の論点が浮かび上がってくる。

 サルトルは、人間の選択の問題・・・それによって神と悪魔を区別するいくつかのルールを提供せざるをえなかった。
すなわち彼は、人間諸個人が実行にうつす選択のために基準を明記せざるをえなかった。」[81]

 そこでサルトル実存主義の第二の問題がでてくる。
何に対して選択の責任があるのか。
サルトルの人間は、神、自然、決定論的歴史、環境の法則から自由になった人間である。
この人間は、疑似神で自由意志の所有者である。
この人間が自由意志を実行に移した時、責任が生ずる。
しかし、何に対しての責任なのか。

 善悪の規準、選択の責任というこの二つの問題に対するサルトルの回答は不十分であるとシャリアティは考える。

 「サルトルは善の規準として『良き意志』の原則をおいた。
『もし、選択の過程において、個人がこの選択は一般的に適応されるべきであると感じ、他の人によっても模倣されるべきだと感じたら、その選択は善を具現している。
もし、このように行動したら、他の人は彼に従うべきでないと感じたら、その行為は悪である』

 そこで、善と悪の基準は、最初は、個人的感情で、次に、集団的な理想としての事柄である。
マルクス主義者と同盟した唯物論者がこのような個人主義的な主観的説明を人間行動に与えるとはなんと奇妙なことか。

 サルトルは彼の実存主義者としてのモラルがそんなに弱く、このような不幸な結論に行き着くことに気づかなかった。
『他に道がない』というのが彼の答えだった。」[82]

 シャリアティは、サルトルが唯物論的宇宙観に立っているかぎりこの課題は解決できないのだと考えている。
「われわれが唯物論的宇宙の仮定から出発する時、人間の自由と尊厳を高めることを望むものはだれでも、不可避的に人間を見えない、無意識の唯物論的決定論に人間を地下牢に引き戻す。・・・
 サルトルは、彼の世界観として弁証法的唯物論を受け入れた。
そして他方、人間の選択の自由を宣言した。、・・
彼は、選択のための基準を個人的な『良い感覚』以外に提起することができなかった。」[83]

 シャリアティはサルトルの思想も他の思想と同じように人間を抑圧する悪魔へと歴史的逆転を遂げる可能性を指摘する。

 「・・・自由の意志は、その意味と価値とゴールと真実を創造なければならない。
けれども、実存主義は、意志と自由というスポーツカーを個人にあたえる。
同時に彼の耳にささやく。
『行くべきところはないが、あなたの好きなところに行け。
あなたの選んだどの方向へでも進みなさい。
それはあなたの個人の選択だ。』

 人間を神の如くその望むように行為できる自由意志にしたならば、そこにはどのように行為すべきかという問題に答える必要が出てくる。
『あなたの選んだどの方向へでも進みなさい』と答えることは、破壊的な危険なサイクルを作ることになる。

 サルトルはしばしば、ドフトエフスキーのよく知られた言葉を繰り返した。
『もし、宇宙から神を消したら、すべての行為が、個人に許される。』

 すべての客観的な道徳的基準と人間の精神的価値が、剥落した時、サルトルの実存主義は、世界と社会において人間の意志の自由と独立を宣言することよって、神のかわりに悪魔をもたらすことが可能である。」[84]

 以上のようにシャリアティの実存主義批判の論点は、人間が行為を選択するさいの価値規準、判断基準が説得力ある仕方で提起されていない点である。
実存主義によって与えられる人間性の自由と独立性は、悪魔の方向をも向きうるものであった。

(6)善悪の規準と実存主義とマルクス主義

 再度、マルクスにもどって善と悪の規準の問題についてシャリアティによるサルトルとの比較を見てみよう。

 「サルトルの言い方をすれば、あなたが自由に選択したもの、よき意図をもって選んだものはどんなものでも、価値と善を形成する。
(それは悪にも奉仕するだろうけれども)
ところが、マルクスは単に一人の哲学的唯物論者であるばかりではなくて、当時のプロレタリアートの政治指導者となり、『行動の段階』における党の設立者であり、社会的イデオローグであり、特定の綱領の宣伝者である。
サルトルの言い方に対して、マルクスは次の言う。
『これはあなたが選ぶべきことである』
そして、さらに『あなたはそれらに責任がある。
そして、これらの責任に直面して、あなたはこれらの特定の理想の実現のために闘い、献身しなければならない』
すなわち『あなたはすべてのあなたの物質的動機、経済的必要、自然の必要性、個人的利益、そしてあなたの命すら、この闘争のために提供すべきだ』と言うのである。
それゆえ、そこには疑いなくマルクスは一連の価値(個人的利害からみて不利益な人間の物質的存在をこえた価値)について語っているのである。
このようにマルクス・・・は思考の基礎を道徳的価値においている。」[85]

 このようにマルクスは西欧無神論ヒューマニズムの思想的潮流にあって人間の尊厳に至高の価値をおき、資本主義社会を批判し、その矛盾の克服し、理想の実現していくために選ぶべき道=道徳を提起する。
サルトルの「良き意図」にもとづく選択は善とすることに対して、マルクスは、人間の尊厳(ヒューマニズム)を道徳的価値の規準にしていて、そこから「すべきこと」を導きだす。

 このようにシャリアティによると、マルクス自身は道徳的価値に敏感な人間であった。
マルクスが自分の思想の体系を語る時には人間の尊厳を論理的に組み込むことのできない唯物論の構造をとり、マルクスの人間観は理論上は、人間の道徳的価値の確実性を信じていないとしている。

 私見を述べておこう。マルクスの理論構造は、人間の意識から独立した自然法則に類似した社会的歴史的法則の存在を認める。
しかし、それは自然法則と異なり、最終的には人間の主観的意識が歴史を変革するというものである。
たとえば、資本主義社会で生み出される労働者階級が疎外に苦しみ、団結して社会主義社会を生み出すという論理構造だけ考えても、資本の分裂攻撃に打ち勝ち、人間としての自分たちの尊厳を守り抜く労働者の登場を必然と考えているわけで、そこにはシャリアティが神の精神と呼ぶところの人間の道徳的価値の確実性を信じているマルクスが、その理論体系の中にも存在することになる。

(7)西洋無神論者マルクスの宗教批判の批判

 シャリアティのマルクスの宗教観の批判の第一の点は、マルクスがギリシャの宗教における神と人間との関係が、東洋のそれと全く反対であることに気づかず、神・人間関係の敵対性を、すべての宗教に一般化した点である。
「マルクスは、プロメテウスの信念とプロメテウス的社会をヒューマニステックに取り出した。
そしてサン・シモンやプルードンから影響されたのであるが、彼らがそうしたように、この例におけるギリシャ神話の宗教的枠組みを継承した。
ギリシャの宗教における神と人間との関係を、偉大な東洋の宗教はそれとはまったく反対だということに気づかず、すべての宗教について一般化した。」[86]

 第二の批判点は、マルクスが宗教の存在根拠として「理解できない世界が存在するがゆえに神が存在する」と不合理さを神の存在の根拠として把握していることである。
これは神の存在の証拠を異常な出来事や非科学的なものに見る大衆的な宗教の論拠である。

 しかし、コーランは全くその逆のしかたで説いていると言う。
「コーランは、『この世をむだなものと思うな』と問うことによって厳しく唯物論者を批判している。
その答えとして『我々は、天も地も、そしてその間にも、無駄なものは作っていない』と述べている。
さらに神は、世界の出来事を原因なしで動かしているわけではない。
全てのものは神のスンナ(ならわし)に基づいている。
「神のスンナは決して変化しないであろう」・・・
コーランに示されている神の存在の最も重要な証拠は、自然の中の合理的秩序と知性の存在である。
この点においてマルクスが、いかにライバル学派のもっとも俗化した見解をとりあげたがわかる。」[87]

 第三の批判点は、マルクスは、来世をこの世の苦痛にとってかわるものと描く宗教思想家の俗化した間違った観念にもとづいて「宗教は民衆のアヘン」など述べている点についてである。
シャリアティは本来の宗教では、来世はこの世の論理的な継続であるとみなしており、理性を越えたものや科学と相反するものはなにもないと述べる。

 「天国と地獄はあの世の高いところと低いところであるが、おのおのが社会に対して行ったそれぞれの奉仕と害を反映している。
天国と地獄は、この世の道徳の中で成長し、人間の道を選んでいるか、または自分の本性を腐らせ、その腐敗を広げる道を選んでいるかしている個人と集団の物質的、世俗的生活の最後の結果を構成している。
宇宙の働きを『不可解な』『理性を越えたもの』あるいは非科学的なものとさえ理解することはこうした反映やこの継続を見失うことになる」[88].

 したがって本来の宗教の来世は、現世での「涙の海」での苦しみに麻痺させる「民衆のアヘン」ではないのである。

 第四に、シャリアティは、マルクスと同じく古代や中世において聖職者が支配階級と結び、宗教が社会的不正義を正当化するイデオロギーとなったことを認める。
しかし、マルクスの批判は、宗教の教典や信仰についての議論ではなく、聖職者の歴史的社会的役割についての批判であるとし、本来の宗教は決してそのようなものではないとする。
「2千年前にパレスチナの救世主であったイエスの役割を、中世のキリスト教の聖職者によってはたされた役割で見るのは、まったく無知を示すものである。
そしてローマ帝国の領土拡張にたいして闘った無数のキリスト教徒がいるのである。
マルクスは、カリフの不人気でイスラムを非難攻撃する。
しかし、カリフによって虐殺されたものたちの第一は、イスラム教の中で育った人々ではないか。」[89].

 すなわち本来の宗教者は、不正義の社会秩序と闘った側に存在すると考えるのである。
それは、マルクスが、一度もユダヤ教、プロテスタント、そしてイスラム教の最も基本的な教義の一つである「神が人間に自由意思を与えたこと、すなわち人間が地上において闘い、自分自身の解放を追求してゆくものである」という教義を聞いたことがなかったからであろうと考える。

 第五の批判点は、マルクスが「人間の天命は実在しない」と考えていることに対してである。
神を否定した結果、サルトルの実存もヘーゲル弁証法を逆転したマルクスも人間の生きることに意味と知性を与えることができなくなった点である。
プロレタリアートの使命は説けても、共産主義を越えたところで人間の天命がどこに至るべきかを示すことができないと批判する。

 そしてマルクスは、宗教を批判して、プロレタリアートの使命を述べる時、事実上、宗教者の言葉でその使命を説いているのだと言う。

 「『キリスト教の社会原理は、古代奴隷制を合理的なものとし、中世の農奴制を是認し、必要が生ずるとプロレタリアートの抑圧を支持する。
・・キリスト教の社会原理は、支配する階級と支配される階級の存在の必要性を説くのである。・・
キリスト教の社会原理は不名誉、卑しさ、卑屈さ、奴隷根性、卑下、・・・
プロレタリアートは、この堕落を受け入れることを拒み、パンよりも勇気、自尊、誇り、そして独立の願望を持つべきである。
キリスト教の社会原理は偽善的であるが、プロレタリアートは革命的である。』(1847年のライン新聞)
 これ書いたのは、道徳を経済的下部構造から生ずると考えたマルクスなのだろうか。・・
これは救世主と法王を同一視するマルクスなのである。

 ここでマルクスは宗教のような口調を帯びている。
『・・不名誉、卑劣さ、下賤さ、卑屈さ、卑下、・・プロレタリアートは、この堕落を受け入れることを拒み、パンよりも勇気、自尊心、誇り、独立心を持つべきである。』・・・
驚くべきことは、宗教が守ってきた道徳的価値や精神的美徳には、神聖なものは何もなくて、特定の経済制度と生産基盤から生ずる変わりやすいものとみなしているマルクスによって宣言されている。
いったいどのようにして彼はこうした精神的価値をここでパンより重きをおくのだろうか。
貴族やブルジョアのためではなく、道徳的理想主義の立場からでもなく、プロレタリアートのためなのである。・・
パンよりも精神的価値の方が高い。
それは、宗教を攻撃するさいに宗教の武器を借りていることではないのか。」[90].

 シャリアティによれば本来の宗教は、決して西洋無神論ヒューマニストとその代表者の一人マルクスが考えたようなものではなかった。
宗教は、偶像を崇拝したり、哀願したり、儀式を営んだり、迷信を信じたりする行為ではなかった。
また支配階級と結んでその支配を正当化する役割を果たすため生まれてきたものでもなかった。
むしろ人間を抑圧ととらわれから解放して、人間の尊厳性、高貴性を取り戻そうとして生まれたものであった。
とりわけタウヒード(一神教)の宗教の預言者たちは、そのために世俗権力と闘ったのであった。

 人間は、神という極限の高さと泥土という極限の低さの引き合う場に人生を過ごす。
宗教行為とは、その低い極から神の高さの極に向かって歩む人生の道程であった。
したがってシャリアティの論理を延長するとマルクスも人間の神性(=理性)を信じ、労働者階級の覚醒と解放をめざし無限の高みに向かって人生を歩んだ無神論の宗教者?ということになる。
そして他の宗教や思想と同様にマルクスの思想も本来の精神から離れて「解放の希望を与えることによって人々を落とし穴に導く・・・歴史的逆転」をおこし、ソ連などでは官僚による人民支配の体制のイデオロギーとして利用されたということになる。[91]

まとめ

 以上、シャリアティ思想について研究書がこれまでに言及していない側面に光をあててみた。
シャリアティの根本的なテーマのひとつは、諸思想を人間が第一義的な優越した存在としてとらえられているか、人間の高貴性、尊厳性が論理的根拠を与えられているかどうかの視点で評価することであった。
彼は人間の尊厳性、高貴性を追求した思想、宗教をヒューマニズム思想と呼ぶ。
したがってシャリアティはヒューマニズムの用語を一般的に言うヒューマニズムの概念よりも広い意味で使用している。
シャリアティが、このヒューマニズムの立場から諸思想、諸宗教をよりラディカルに問題として取り組んでいこうとしている姿勢を示すことができたと考える。

 イスラム教徒としてのシャリアティが論じた文明論的な神・人間の関係性についての理論が正しいとするならば、次のような仮説が可能である。

 西欧のもう一つの思想的源流としてギリシャ・ローマ文化がある。
ギリシャ神話における神の世界と人間の世界との関係は、プロメテウスの話に見るように不和、敵対関係にあった。

 ところが他の文明圏の神世界と人間世界は、不和、敵対関係を前提としたものではなかった。
たとえばゾロアスター教では善神と人間が連合して悪神と闘うし、モーゼの神はユダヤの民のエジプトからの解放を助ける。
そういう意味では、神世界と人間世界が対抗的に舞台設定をしているギリシャ神話は、特殊である。
もちろんキリスト教においても「天は悪い人の上にも良い人の上にも太陽を昇らせる」神で、神世界と人間世界が対抗関係にはない。

 支配のイデオロギーと化していた中世カソリックにおいては、神と人間との関係にギリシャ的な神世界と人間世界との対抗関係の構造が入り込む。
そこでは神世界が極限まで広がり、人間性が貶められる。
中世カソリックはギリシャ的神・人間の関係性の系譜上にあった。
 人間が第一義的存在となるように人間の尊厳の拡大を追求する西ヨーロッパでの動きが、ルネッサンスだった。
ルネッサンスは、もちろん宗教の形をもってであるが、人間に関心を向けていった。
しかし、ギリシャ的神・人間の対抗的関係の構造の中で、人間中心世界の拡大、ヒューマズム=人間の尊厳の拡大をはかろうとする動きは、徐々に無神論に近づいてゆく。
フランス革命は、王権がカソリックに依拠したことに対して無神論で闘った。

 すなわち神中心世界に対する人間中心世界の対抗構造の中からその行き着く先として最終的にヒューマニズムが無神論と結合するのである。
その道程において宗教的枠内で、神中心世界に対して人間への関心を深め、人間の尊厳を拡大する努力の中に登場したのが、天賦人権論であった。

 全体として神・人間対抗構造の中からの人間の尊厳の追求は、最終的に唯物論につきすすんでゆく。
ブルジョア自由主義、そしてマルクス主義は、人間世界を抑圧する神世界に対して人間の尊厳を追求する中で、神世界をはらいのけた世界観を確立していった。

 キリスト教におけるカエサルのものはカエサルにという政教分離の質は、ルネッサンス・宗教改革を経ることにより神世界に対して人間世界の拡充をめざすヒューマズムの潮流にとって有利な環境となったと考えられる。

 すなわち、科学的社会主義を例にとると創始者マルクス、エンゲルスは、このような神世界に対抗するヒューマニズムの流れの中に身をおいて神からの解放ではなく、神を生み出す地上の矛盾、疎外=資本の支配からの人間の解放をめざした。
神世界と対抗して人間の尊厳を拡大しようとするヒューマニズムと一体不可分なものとして彼の弁証法的唯物論と科学的社会主義は生まれた。

 ロシアで革命がおこり、社会主義者が権力を握った。
レーニンは、人間の尊厳をめざすヒューマニズムと密接不可分であるものとして把握していたから、ロシア革命後のマルクス主義の理論が現実とあわず、現実の人間を抑圧する側面をもってきたら、理論の方をかえようと努力した。
それまでの人類史にないことを追求するのであるからそういう姿勢が必要であった。

 スターリンは、社会主義理論がヒューマニズム(人間の尊厳)の追求の中で成立したものであるのに、実際の政策決定にあたってまったくヒューマニズムの側面を切り捨てた。
スターリン個人とそのもとで理論の側面(イデオロギー)とそれに導かれた党官僚がソ連の現実を支配するようになった。

 ロシアはギリシャ正教の世界であった。
それは神=皇帝-聖職者-人間の中世カソリックと類似のまたそれ以上に東洋的な聖職者の最高位の皇帝としての神・人間構造の文化圏で、神世界に対してして人間の尊厳をもとめたヒューマニズムの発展の伝統のない(もちろん一部の知識人には運動があったが)文化圏であった。
そのようなロシア世界の土壌の上に唯物論が挿し木されて、マルクスがめざしたものとまったく異なるツアーリ政治の裏返しの世界が生まれた。

 ソ連以外の地域でも似た問題が生じた。
社会主義国家建設にあたってソ連モデルとソ連理論から学んだこととその地域の文化風土との接点の中で、一層もともとの西欧の文化伝統から生まれた無神論ヒューマニズムとしての社会主義思想の面が切断されていった。
北朝鮮に至っては王朝に近いものに転化している。

 キリスト教が「カエサルものはカエサルへ」という政教分離の可能性の質をもっていたことが、キリスト教世界の世俗化を可能にした。
そしてギリシャ思想の神・人間対抗構造が、ヒューマニズムの発展を無神論に導いた。
世俗化したキリスト教文明と無神論ヒューマニズム思想、これが西欧の世界支配の経過を通じて、世界中の知識人に広がった。
しかし、西欧以外の文明圏においては、たとえば、仏教などにあるように人間が成仏するのであり、神の世界と人間の世界は決して対抗関係にあるものではなかった。
そこでは人間の尊厳という思想は、神の世界との対抗関係で発展する必然性をもたなかった。
それが、西欧以外の地域で唯物論思想が発展をとげてない理由であった。
東洋では人間の尊厳ととらわれからの解放をもとめる動きがより宗教に吸収されやすい風土があった。
無神論ヒューマニズムの立場からは、この地でどう西欧ヒューマニズムの系譜をひきつつ土着化していくかが問われているということになる。

 以上は、西洋無神論ヒューマニズムの潮流の後継者の立場に立ってアリー・シャリアティの論を読み込んだ時に出てきたものである。
シャリアティの文明論的な神・人間関係の説の真偽がこの仮説の正否を決する。

巻末注

[1]. John L. Esposito , John L. Esposito , Foreword Of Dr. Ali Shari'ati, What Is To Be Done; Huston Texas, 1987, The Institute For Reserch And Islamic Studies,
[2].、シャリアティの略伝について
 アリー・シャリアティは、1933年にイランのマシャッド(Mashad)近郊に生まれ、そこで初等、中等教育を終えた。1940年代に「 神を崇拝する社会主義者の運動(the Movement of God-Worshiping Socialist)」と「イスラムの真実の宣伝センター(the Center for Propagation of Islamic Truth)」(彼の父のムハンマド・タキー・シャリアティ(Muhammad Taqi Shari'ati)=高校教師で、学者でイスラム研究者、によって創立されたもの)に加わった。そしてモサデクの石油国有化運動にも積極的に関わり、マシャッドにイスラム学生同盟(the Islamic Student Association)を結成した。その政治活動のためテヘランに投獄された。その後、マシャッド大学に入学し、その時期、結婚をした。
 奨学金を得る資格を得て、1959年にパリのソルボンヌ大学に留学した。その時期、アルジェリアの民族解放運動を支援への支援活動をおこなった。ソルボンヌで社会学の博士号を取得した。
1964年にイランに帰国した。その時、国境で逮捕され、六ヶ月間投獄されている。マシャッドの高校と農業大学で短期間教鞭をとった。その後、テヘランにゆき、ホセイニーエ・エルシャド( Husaymiah Irshaad)(イラン自由運動の会館)の設立のためにテヘランへ行く。そしてマシャッド大学に教職を得て、イスラムの歴史を教えたが、彼の思想傾向のために解雇された。1969年からホセイニーエ・エルシャドで講義した。
1972年にホセイニーエ・エルシャドが閉鎖され、彼は逮捕される。1975年にペルシャとアルジェリアの知識人の国際的なシャリアティ釈放運動がおこり、獄から出された。彼はSAVAKによる家庭監禁下に彼はおかれた。1977年、カーターの人権外交の反映もあり、イランからの出国が許され、ロンドンに行った。直後、ロンドンで死去した。死因は不明である。1977年にシリアのダマスカスに埋葬された。
[3].Ervand Abrhamian,Iran between two revolutions,Princeton:Princeton University Press,1982,PP.467.
[4].加納伍郎『イスラームの挑戦』講談社、1982年、177ページ
[5].小林達夫「世界観闘争のアリーナの変容」『アジア・アフリカ研究』312号、25ページ 
[6].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.467.
[7].John L. Esposito,Op.cit.,p.・.
[8].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.465.
[9].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.471.
[10].加納、前掲書、179ページ 
[11].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.465.
[12]. M. Reza Ghods, Iran in the Twentieth Century, Lynne Rienner Publishers, Boulder, 1989,p.195.
[13]. Mohsen M. Milani, The Making Of Lran's Islamic Revolution From Monarchy To Islamic Republic, Boulder And London; Westview Press, 1988,pp.145-146.
[14].ibid.,p.146.
[15].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.471.
[16].Mohsen Mirani,Op.cit.,p.145. 
[17]. M. Reza Ghods, Op.cit.,p.195.
[18]. タウヒードとは、シャリアティが自己の世界観の根幹に据えている概念で、彼自身の文章からもう少しこの部分を補っておきたい。
 「私の世界観は、タウヒードからなる。
唯一の神という意味でのタウヒードは、もちろんすべての一神教信者によって受け入れられている。
しかし、私が学説の中で意図する意味での世界観としてのタウヒードは、全世界を一体としてとらえるもので、決してそれを現世と来世、自然と超自然、物質と意味、精神と肉体といったように分けて考えるものではない。
全存在を、意思、知性、感情、目的をもった一形体、一生命、一有機体と考える。・・・
イスラームも、タウヒードをこの意味で使っていると私は確信している。・・・
タウヒードは、存在全一致、三位(神、自然、人間)一体を主張する独特の世界観に立っている。
すべては同じ方向、同じ意思、同じ精神、同じ動作、同じ生命を持っている。」
さらに、社会のあり方についてのタウヒード(一神教)を彼は次のように説明する。
「タウヒードは、人間と自然の一致、神と世界、そして人間との一致という意味に解釈されるべきである。・・・・・
支配者と被支配者、・・・東洋と西洋・・・ペルシャ人と非ペルシャ人、資本家とプロレタリアート・・・こうしたすべての対立の形を許容できるのは、シルク(二神教、三位一体説、多神教)の世界観によってのみであって、タウヒード(一神教)によってではない。
シルクの世界観が常に階級差別、人種差別をしながら社会にシルクのための基盤をつくったのはこうした理由による。
複数の創造主信仰は、永遠のものとして、生物の多様性を認める。
同様に神の間の対立を信じることは、人間の中にある対立を自然で神聖なものとみなすことである。
反対に^ウヒードは、シルクのあらゆる形態を否定し、存在のすべての部分や現象を、唯一のゴールに対する調和ある運動に関わるものと考える。
そのゴールに沿わぬものは、存在せぬものと定義づけられる。・・・
タウヒードは、人間に独立と威厳を与える。
唯一の神に従う人間は、いつわりの権力と恐れや欲望の足かせに反逆する」 Ali Sheri'ati, On the Sociology of Islam, t ranslated by Hamid Algar, . Berkeley , Mizan Press,1979,pp82 -85.
[19].加納、前掲書、172ページ 
[20].同上書、173~174ページ
[21].小林、前掲書、27、28ページ
[22].黒田壽郎『イスラームの心』中公新書、198~200ページ
、 [23]. M. Reza Ghods, Op.cit.,p.195.
[24].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.471.
[25].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.472.
[26]. 私は、シャリアティ思想の位置づけについての次のように考えている。
第一に、アメリカ帝国主義に支えられたパーレビー・シャーの独裁政権が「白色革命」を中心とした上からの社会的経済的改革を実施し国民諸階層との対立を激化させる中で、国民の政治闘争のための団結原理としてエスニックな諸要素のうちシーア派イスラームという宗教が前面にでてきたが故に「イスラーム」革命となった。
第二に、宗教が「敵」に対抗するための団結原理として政治の前面に出たといっても、旧来のシーア派イスラームの教義がそのままの形では革命の原理になることはできない。
シーア派イスラームを社会変革の原理に高めるために教義の再編成を行なったイデオローグを必要とする。
そのイデオローグたちが、民衆の中に蓄積した不満を宗教意識を基礎としたナショナリズムの炎に燃え上がらせたのである。
第三に、イデオローグによるシーア派イスラームの教義の革命にむけた再編成には、二つの方向があった。
それはホメイニーの方向、すなわち聖職者による統治体制をめざす方向とアリ・シャリアティやバニサドルの方向、すなわち聖職者支配を排除したより民主的な体制をめさず方向があった。
その二つの方向とは革命を指導した階級、階層を反映したものである。
すなわちイラン革命が一方で「絶滅寸前の伝統階級の生き残りをかけた荒々しい叫び」と他方で「近代的諸階級によるより大きな政治参加をもとめる不運な企て」であった。
前者の方向に教義を再編成したのがホメイニーであり、後者の方向に教義を再編成したのが、シャリアティであった。
第四に、なぜ、聖職者統治の方向が勝利したのか。
それは 革命勝利にむけた巨大なエネルギーは、「白色革命」による土地改革の展開の中で都市に流出した膨大な元農民層=下層都市民衆によってもたらされたのであるが、イランの農村の生産力段階で陶治された彼らは、近代的なシャリアティの教義に共鳴する力をもっていず、ホメイニーの教義に共鳴する質をそなえていた。
そこにホメイニーが国民的規模で革命のシンボルとして前面にでた理由があった。
それに対してシャリアティの教義は、シャーの近代化政策の中で大規模に発達した近代的高等教育を受けた青年たちに共鳴盤をもったことで、イラン革命の勝利に貢献することになったのである。
松尾光喜「イラン革命における宗教と民族」『アジア・アフリカ研究』第328号、2~73ページ
[27].Ali Shari'ati, translated by R. Champbell, Marxism and Other Western Fallacis, Berkeley, Mizan Press,1980, p.63- 64.
[28]. Ibid, p.64.
[29]. Ibid, p.99.
[30]. Ibid, p.36
[31].Ibid, p.36
[32].Ibid, p.37
[33].Ibid, p.37-38.
[34].Ibid, p.38.
[35]. Ibid, p.36-37.
[36].Ibid, p17-18.
[37].Ibid, p.17.
[38].Ibid, p.18.
[39].Ibid,, p.24.
[40].Ibid, p.18.
[41].Ibid, p.18.
[42].Ibid, p.19.
[43].Ibid, p.19.
[44].Ibid, p.19.
[45]. Ali Shari'ti, Ensan Va Eslam,np.nd., Op.cit.,p.70.
  [46]. Ibid.,p.75.
[47].コーラン解釈の方法 について
 人間は泥土に神の精神を吹き込んで作ったというコーランの記述を事実にもとづかない虚構を根拠としているという読者があるかもしれない。
シャリアティは、コーランを象徴言語ととらえて、その内的意味を探る方法を採用している。
「・・ところで、宗教の言葉、セム的宗教の言語は、象徴的言語であることを指摘しよう。・・
・明確な言葉は直接的な意味を表すが・・永久性をもたない。・・
宗教は、・・普通の人々や教育を受けた人々など異なったタイプの人間や異なった階級の人々に語りかける。・・・
さらに宗教の聴衆は単一の世代ではなく、歴史を通じて引き継がれてゆく異なった世代であり、必然的に思考方法、思考程度、視野の点で異なっている。
だから宗教はその思想を伝えるために幅広い多面的な内容をもつ言葉を選ばざるをえない。・・・
もし、言語が一面だけを向いていたら、単一の階級にのみ理解可能だが、他の階級にとって価値のないものになり、ある世代に接近可能でも、次の世代には理解できないし、次の世代がそこから新しい意味を引き出すことは不可能であろう。
象徴的言葉で書かれた文字著作が不滅なのはそのためである。・・・

 宗教が、象徴的言語を使うのはそのためである。
宗教は、異なったタイプの人間と異なった世代の人間に語りかけてきた。・・・
それゆえに宗教は、人間の思考と科学の発展によって理解可能となるようにイメージと象徴で語る必要があった。
象徴主義はヨーロッパ文学の文体の頂点であり、象徴とイメージで語り、何か他の意味を持つが人は自分自身の深まりの程度にそってしかその意味を発見できない内的重要性のあるイメージに深い思想を孕ませる技術である。」 Ibid.,pp.71-72.

シャリアティは、このようにコーランの内容が象徴的言語として叙述されているととえら、その今日的解釈をはかることで、コーランの古代的思惟構造の枠組みを近代的思惟構造の枠組みに組み換える。
[48]. Ibid.,pp.73-74.
[49]. Khomeini, Velayate Faqih Hokumate Islami, Teheran,n.p.,n.d. 仏語訳 Ayatollah Seyyed Ruhollah Khomeyni, Pour Un Gouvernement Islamique, Tranduction M. Kotobi Et B. Simon avec le concours de Ozra Banisadre,1979,邦訳、ルーホッラー・ホメイニ『我が闘争宣言』清水学訳、ダイヤモンド社、1980年、43ページ、
[50]. Ali Sharia'ti, Op.cit.,p77.
[51]. Ibid.,p78.
[52].Ibid.,p78.
[53]. 人間の平等性について
  シャリアティはアダム創造の解釈から人間の平等性を追求する。
彼によると人間は同じではないが、単一の起源から起こっている故に同胞である。
同胞性は、すべての人間が共通の本質、性質をもっていることである。 

 ただし、人間はみな同胞であるが、天使と創造物へに対する人間の優越性は、種や起源、血統、同胞性に由来せず、名前を教えられたことで科学的真理に接近できる力を与えられたことにあった。
それゆえに天使は人間の前にひれ伏したのであった。
したがって人間はみな同胞であるが、人間の高貴さと尊厳性は、真理の知識を得て主体的に決断して生きることにあるということになる。

 また男女平等に関してもシャリアティは次のようにコーランを解釈し、イスラームを男女平等の宗教に組み換えようとする。
コーランには、アダム( 男) の肋骨からイブ( 女) を作ったと書いてあるが( 203-169)それについて、シャリアティはアラビア語からの誤訳であるという。
肋骨ではなく、本質、性質もしくは構成と意味が正しいという。
だからイブすなわち女性は、男性と同じ本質、性質、構成をもって創造されたということなる。
誤訳されたゆえに、女性はアダムの左の肋骨から創造されたという言い伝えがおこったのだと言う。
男性と女性は同じ血統だが、男性の方が優秀であると言う意見に対して、コーランに「われわれはアダムと同じ本質、性質からイブを作った。男性と女性は同じ物体から生じた。」と書いてあると述べる。Ibid.,p75.
[54].Ibid.,p93.
[55].Ibid.,p93.
[56].Ibid.,p94.
[57].Ibid.,p94.
[58].Ibid.,p116-117.
[59].Ibid.,p66-67.
[60].Khomeini, Op.cit,.邦訳、81ペーシ
[61]. Ali Sharia'ti, Op.cit.,p115.
[62].Ibid.,p40.
[63].Ibid.,p50.
[64]. この客観的に存在する固定した伝統と社会の不変の法則という人間にとっての所与性と人間の自由と責任という問題についてシャリアティは、次のような「自由とは必然性の洞察」という言葉を引用して説明したエンゲルスと同様の説明をしている。
「社会学では二つの原則は、明確に矛盾する。
一方では社会の変化と発展における人間の責任と自由、他方では、固定した科学的に確立した法則・・・
しかし、コーランはこれらの二つの極は矛盾するものではなく、お互いに補足しあうと考える。
自然に例をとろう。
農業技術者は木や植物を果樹園に栽培する責任をもっている。
可能なかぎりいい果実を実らせる責任をもつ。
灌漑して手入れする責任をもつ。
これらのすべてにおいて彼は、選択の自由をもつ、それゆえ責任がある。
しかし、同時に、植物学におけるある法則があり、植物や木に変化、発展がおきるこれらの決定的な不変の法則にもとづいている。
 したがって、知識と情報の彼の程度によって人間は、植物に固有の法則(それ自体は不変の法則)を用いることができる。
農業技師は決して、植物の新しい法則をうちたてることはできない。
もしくは植物の法則を存在を廃止することもできない。
自然にもとから存在しているこれらの法則は、融通性がなく、農業技師の行為を規定する。
しかし、彼は・・植物の法則を利用する能力をもち、変えることのできない存在する法則から利益をうる。・・・
社会における人間の責任もまさしく同じことである。
社会は、果樹園と同じように、神の与えた規範とパターンのもとづいて打ち立てられ、その発展と生成はそのうえになされる。
しかし、同時に人間は責任がある。・・・
社会は、実際、不変の法則のうえに打ち立てられているけれども、コーランは人間の責任を否定しない。
コーランの示す学派に従えば、人間は正しく社会の規範を認識して、社会の発展のためにその規範を改善する責任をもつ。
どんな手段でそれができるか。彼自身の知識にもとづいてである。」Ibid.,p52.
[65].Ibid.,p54.
[66].Ibid.,p22.
[67].Ibid.,p23.
[68].Ibid.,p75.
[69].Ibid.,p75.
[70].Ibid.,p23.
[71].Ibid.,p23.
[72].Ibid.,p76.
[73].Ibid.,p76.
[74].Ibid.,p77.
[75].Ibid.,p77.
[76].Ibid.,p79.
[77].Ibid.,p80.
[78].Ibid.,p82.
[79].Ibid.,p82.
[80].Ibid.,p44.
[81].Ibid.,p45-46.
[82].Ibid.,p47.
[83].Ibid.,p47.
[84].Ibid.,p47-48.
[85].Ibid.,p28.
[86].Ibid.,p44.
 プロメテウスについてシャリアティの述べるところを引用して、もう一度、ギリシャ神話における神・人間の敵対的関係と東洋宗教の神・人間関係の違いをおさえておきたい。
本当のプロメテウスは神なのだと彼は言う。
「プロメテウスとは誰か。
ギリシャ神話では、彼は一人で人間につくすために他の神を裏切ったのである。
神々が眠っているある夜、彼は神聖な火を盗み、人間に手渡した。他の神がこのことを知った時、彼を鎖で縛りつけた。
彼らは人間性が神聖な火を所有すべきであるということに不安を感じた。
というのは、彼らは人間が暗闇と愚鈍さの中にとどまることを望み、天使の地位の近くまで昇ってくることを望まなかったからである。

 東洋の宗教では、神は人間に対して思いやりのあるものであり、ギリシャの宗教のように人間をライバルとみなし、ジェラシーと敵意をもって向き合うものではない。
東洋の宗教的信託は、人間を地上から天上へ、獣や肉体をもったものの地位から天使のような神聖なものに高めることにある。
ゾロアスター教においては、人間はアフラマズダの勝利のためにアムシャスパンズと協力して戦う。
こうした超自然の存在はいつも人間のパトロンなのである。
マニ教の二元性においては、聖なる火は人間の手を通してである。
中国やインドの神秘主義においては、本質的に人間と神の間にはくぐりぬけられない障害などはないし、むしろ神は『存在の精神』『真実の本質』として人間と自然を通じて流れている。
もっとも重要なことは、その聖なる火は、禁断の木の形で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に入った。
人間の本当のプロメテウスは神なのに、プロメテウスが悪魔になって入っていった。」
[87].Ibid.,p44.
[88].Ibid.,p57
[89].Ibid.,p59
[90].Ibid.,p59-60
[91]. シャリアティの目にはソ連は次のように映っていた。
 「国家を死滅させるかわりにプロレタリアートの独裁。自由な社会と労働における自由のかわりに上から下まで完全に計画された社会に位置づけられる個人。機械主義の廃止のかわりに機械主義のより大きな強調。
ブルジョア的官僚主義からの人間の自由のかわりに単一の政府官僚のもとへの人間の束縛。
資本主義的拡張主義による進む人間の特化を終わらせるかわりに政府の拡張主義によるより大きな特化。
資本主義の経済行政組織からの解放のかわりによく高度に組織された社会への人間の奴隷化。
人間の自由の増大のかわりに人間社会、文化、モラルの鋳型化。
教会への盲目の模倣のかわりにイデオロギー委員会への同様の行為。歴史における個人のかわりに個人崇拝。」Ibid.,p41

 ソ連が崩壊した今、この文章はきわめて正確にソ連社会の問題点を指摘しているように思える。
筆者はレーニン指導時の誕生期のソ連が、諸国民の平等と平和、労働者の権利の面で大きな進歩的意義をもっていたことを認めるものであるが、シャリアティは、このようなソ連社会の問題点がスターリンに起因する説をしりぞけて、マルクスの理論面に起因しているとする。
すなわち物質的富裕を少数のブルジョアだけなく労働者までに広げるというブルジョア的人間観と表裏一体の目標をもち、生産力の発展と社会発展を等置し、機械性大工業の成立を理論的に必須のものとしている点などである。






H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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