God of Heaven (video inspired by god of star)


(In order to close true god, it need to raise up quality of ectoplasm)

This article is god in Ali Shariati.
View of god of Ali Shariati is excellent.
Human life is way to close parent god in order to eternal life.
In order to close true god, it need to raise up quality of ectoplasm.
For theory of shariati whole human life is spiritual practice to close near to true god.
This is true spiritual practice.

この論文は,アリ・シャリアティにおける神です。
アリ・シャリアティの神の見方はすぐれています。
人生とは永遠の生命になるために親の神に近づく途上です。
真の神に近づくためには思念体の質を向上させる必要があります。
シャリアティの理論では,人生全体が真の神に近づくためのスピリチュアルプラクティスです。
これは真のスピリチュアルプラクティスです。




シャリアティの人間の生き方と神性

(1)
サーカーは「動物性→人間性→神聖」へと進むが
人間がそう進まざるをえないダルマ(特質)をもっているとしています。

小宇宙もプルシャ(純粋意識)にプラクリティ(属性付与力)が形質を付与して展開しており
プルシャとプラクリティの「対立物の統一と闘争」の存在として
次のように表現しました。
(なお、対立物の統一と闘争の法則という用語で
サーカー自身が表現しているわけではありません)

動物性→(神聖と俗性の対立物の統一としての人間)→神聖

(2)
以前に紹介した1979年のイラン・イスラム革命のホメイニーとならんで
若い知識人に影響力をもったアリー・シャリアティの文章を
思い出しました。

彼は、次のように考えます。

人間存在は、 神が泥に神の精神を吹き込んだものであり、
一なる完全なものの象徴としての『神』に、
もっとも低次の醜い存在の象徴としての『泥』
この二つの引きつける力の間に位置し、
人間は、泥の方向にも神の方向に進むことができる
自由意志をもっていると

シャリアティのイスラム型ワンネス思想には
(神聖と俗性の対立物の統一としての人間)として
見るサーカーのワンネス思想と共通点があります。

以前に書いた
「アリー・シャリアティ研究ノート」です。

シャリアティ

シャリアティは人間の尊厳性と高貴性が
諸思想、諸宗教でいかに実現されているかを追求している。
人間の尊厳性と高貴性の追求は、
西洋型の神・人間関係では無神論に発展するしかなかったのだが、
本来のイラスムでは、人間の尊厳性と高貴性を追求してゆくことは
神の存在と矛盾せず、無神論の方向に進む必要はなかった。
彼によるとイスラムこそ人間性の高貴性と尊厳性を実現した
最高のヒューマニズム思想であるする。

では、そのような彼のイスラム解釈とはどのようなものであるのかを見てゆこう。

(1)アダム創造と人間論

・神の精神が吹き込まれている人間の高貴性、尊厳性

  シャリアティは、
イスラームは人間を神の無力な創造物と見て
人間が高貴な存在であることを否定しているか、
それともイスラームは人間を高貴な存在である
との確信を与えるものかと問題を立て、
結論として神に近い高貴な存在である
というイスラーム的ヒューマニズ思想を導ォ出す。・・・・

さらにシャリアティは、天使が人間にひれふした
という次のコーランの叙述からも
イスラームにヒューマニズムを読み取る。 

「このように人間が泥土に神の精神を吹き込まれてできたものだ
というコーランのアダム創造の象徴的な話からシャリアティは、
人間は、矛盾する二面性をもって葛藤し続ける存在である
という彼独自の人間論を引き出してゆく。

 「神は、地上に自分の代理をつくることを望んだ。
神の代理だから人間の材料として神は
もっとも神聖な価値あるものを選ぶだろうと予想する。
しかし、神は物質のもっとも低いものを選んだ。
コーランは人間が物質からつくられたことを三つのところで語っている。

 一つは『陶工の土のような』(55-14)という表現の箇所である。
それは、乾いた固まった土である。
二つ目は『私は腐敗した土から人間を作った』(15-26)という箇所である。
三つ目は、tin という言葉を使った箇所である。(6-2、23-12)
それも土という意味である。・・・

そしてこの土に神の精神の吸い込こませ、人間を創造した。

土は、人間の言語では、最も低いみじめさ、卑しさなどを象徴する。・・
神は人間の言語においてもっとも高められた聖なる存在であり、
精神は、すべの存在のもっとも高い高貴さを象徴する。

人間すなわち神の代理は、
この世でもっとも低い物質である悪臭のする泥土から作られた。
神はそれに神の精神を吹き込んだのである。・・・
人間は二つの特質をもった創造物である。
二つの特質の間の距離は土と神の間の距離である。
すべての人間は二重の性質を与えられている。

一つの側面は、土と低位性、停滞と不動性・・・
もう一つの側面は、神聖な精神・・・
考えられる最も高い頂点=神、神の精神へ近づくことを欲する。
それにゆえに人間は、土と神の精神という二つの矛盾した要素からなりたっている。・・・

この二つの要素の間の距離は、
土と神の精神の間の距離にあたる。
人間の存在の中にある土の方向に下りてゆくか、
高められた極に登っていくかは、
人間の意思で決まる。
運命の方向として一つの極を選ぶまで
、絶え間ない葛藤が人間の内面におこる。」

 以上のようにシャリアティは、
土+神の精神=人間という命題を引き出し、
その葛藤の中で、どのような生き方を選ぶかは、
その人間の意志、決断であるとして、
主体的に決断する実存的人間として描き、
神決定論と唯物論的下部構造決定論に陥らない人間論を提起する。
 人間の高貴性、尊厳性を追求するシャリアティは、
ここで人間(個)主体性を限界まで強調している。

「神の精神」という言葉であらわされる人間の共同性=類的性格は、
人間(個)の内部に組み込まれており、
人間(個)の主体的決断で神(完全性=全体性=共同性)に向かって
進むという構造になっている。
ここでは、神は、人間の進むべき方向性をあらわすものであって、
神(全体)が人間(個人)を支配する関係にないことに注意したい。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ