Romantic saxophone - Love Knows No Borders - GIORGOS KATSAROS (video inspired by god of star)


(True human civilization begins from now)

This article is re-definition of culture and civilization by P.R.Sarkar from god salanmurdam.
When social life of people is based on providence, this is civilization.
When social life of people is contrary to providence, this is not civilization,
True human civilization begins from now.

この論文は,神サラニムルダムから受け取ったP.R.サーカーの文化と文明についての再定義です。
人々の社会生活が摂理にもとづいている場合が文明です。
人々の社会生活が摂理に反している場合は文明ではありません。
真の人間の文明がこれからはじまります。




「文明と野蛮」「文化」の用語についてのサーカーによる再定義

(1)文明と野蛮

文明と文化という言葉をサーカーが一般の理解とは
異なる定義を与えているのを紹介しました。

彼の定義では
文化(サンスクリティ)とは、人間の多様な表現の発達です。
多様な表現の発達が文化的発展とともにあります。
人類は一つであり、だから人類の文化は一つであり
そこに一つの文化の多様な表現があるのだとなります。

それに対して、文明は、理性ややさしさ(慈悲深さ)のレベルをあらわし
文明的とは、理性的でやさしい人間性のレベルに支えられます。
したがって、紛争や対立を戦争や暴力で解決しようというのは
非文明的で野蛮な行為です。
ですからテロはもちろん野蛮な行為ですが
イラク戦争やアフガン戦争をやったブッシュとアメリカは
非文明的な最悪の野蛮人であり、
山奥深くで平和に暮らしていた庶民のアフガン人よりも
ハイテク兵器をもったアメリカがずっと野蛮で
非文明的となります。

そして、我が日本もその野蛮人に協力しているのです。
日本国憲法は文明的ですが
野蛮人の小泉純一郎とその仲間によって
踏みにじられ、野蛮人と同盟して
暴力による問題解決という非文明勢力に
日本は手を貸してしまいました。

ですから、
サーカーのサンスクリット語による定義では
アメリカは文化的には発達していても
文明的ではなく野蛮であるということになります。

発達した文化の前提として
まず文明的であることを確保せよ
とサーカーの定義ではなります。

(2)「文明」と「文化」の用語についてのサーカーによる再定義

サーカーの使う「文明」と「文化」という用語は、
サンスクリット語に由来し、
私たちが用いている意味と違うので注意が必要です。

 サーカーの用語法で「文化」(サンスクリティ)とは、
信念、習慣、芸術などを含む多様な人間の活動の表現です。
たとえば、草笛だけが楽器だった原始の時代に対して、
今日では多様な楽器による表現が発達し、
より多様な表現活動が可能になってきました。
その多様な表現が「文化」です。

それに対して、共通の風俗、習慣、礼儀作法の存在を
「文明」(サッビャター)と呼びます。
したがって「文明」の有無は、
その社会の人間らしさや理性のレベルが問題となります。

「文化的表現と文明は、同義語ではありません。
生活の様々な表現に抑制と合理性のあるところには、
文明があります。
具体的な例をあげましょう。
食べることは文化的な生活表現です。
食べすぎは悪いと合理的に考え、
それを自制する人々は、文明化していると言えます。
 人々の文化的表現は数多くあります。
多様な表現をコントロールできない人々は、
文化的には進んでいるが、文明化していると言えません。
もし、文化的に進んだ人々の表現に
合理性、理性、抑制が欠落していれば、
必ずしも文明化した人々とはいえません。
 同様に、いわゆる『文化的に遅れた人々』が
必ずしも社会的に遅れているわけでもありません。・・・
冷静に検討すると、彼らが生活表現の少なさのために
文化的に遅れていたとしても、
かなりの社会的進歩をなしとげていることがありうることが
明らかになるでしょう。
アフリカ人のケースがそれです」
(Interplay of Culture and Civilization)

 西洋的な「文明」の概念なら、
アフリカの奥地は、文明の発達していない野蛮、未開の土地であり、
ヨーロッパは、進んだ「文明」をもっているということになります。

しかし、サーカーの用い方では、
先進諸国では「文化」すなわち人間活動の表現は多種多様に発達していますが、
かならずしも「文明的」には高い位置にあるとはかぎりません。

(2)普遍的文化「サンクリスティ」と個別的文化「クリシュティ」

 サーカーの用語の定義では、
日本語での「文化」に二つのサンスクリット語をあてています。
一つの人類文化の多様な表現という文脈では
サンスクリティ(普遍的文化 sam'skrti))です。
個別的文化はクリシュティkrs't'iです。
サンスクリティとは、あらゆる人間集団に有益な文化を意味します。
他の人間集団には有益でない文化は、
サンスクリティではなく、クリシュティkrs't'i(文化)と呼びます。
 たとえば、ヒンズー教徒の客人に「すき焼き」でもてなしたとすれば、
不快を与えますから、
その場合「すき焼き」はサンスクリティ(文化)ではありません。
クリシュティ(文化)です。

サンスクリティとクリシュティについて
サーカーは次のように説明しています。
「文化は、あいまいな用語です。・・・
他の人々にとっては有益とみなされないかもしれなない生活表現が、
クリシュティKrs't'iすなわち「文化」と呼ばれます。
たとえばイギリスの家族は、もてなしのために、
インド人の客に彼らが好まない牛肉を出すかもしれません。
 サンスクリティsam'skrtiという言葉も「文化」を意味します。
それは、良い意味で使われ、すべての人にとって有益な場合です」
(Talks On Prout)
したがって、クリシュティとしての文化は、
ある集団と他の集団では違っています。
しかし、サンスクリティとしての人間の文化は、
共通であり、一つです。

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