アボリジニの生活
(video inspired by god of star)



(minority people should be treated as having human right)

This article is that minority people should be treated as having human right.
Capitalist and nation state system does not respect right of minority people.
This article is important by seeing exploitation of three layers.

この論文は、マイノリティの人々が人間の権利をもっているとして扱われるべきだ、です。
資本主義と国民国家はマイノリティの人々の権利を尊重しません。
この論文は三つの層で搾取を見ている点で重要です。




先住民の搾取と原子力発電

「社会的領域では、
私たちは何をすべきで、
何をすべきでないかを知ることです。
あなたは、誰もが泣くことを強いられず、
喜びで笑顔になり、十分な笑いの余地がある社会を打ち立てるべきです。
これが本当の社会的なコード(規範)です。」
P.R.サーカー

オーストラリアのカカドゥ国立公園のミラル人は
原発関連企業によって
「泣くことを強いられ、喜び」を奪われています。
このケースは、原発企業が加害者ですが
資本主義企業による先住民搾取の
典型的事例に思えます。

搾取exploitationは、「利用」であり、
十分にお金を払っているから
搾取がないということではありません。
他者の自立的発達の余地を奪いながら、
自分が発展してゆくというところには
搾取関係が成立していると考えられます。
原発関連企業家たちが
アボリジニの自立的発達の余地を奪っている点を
物的領域、知的心理的的領域、スピリットの領域の三領域で
みてみましょう。



カカドゥ国立公園、
それはミラルの人々のふるさとであり、
世界でももっとも古くから人々が
文化を培ってきたところでもあります。
しかし4万年がたって、
ミラルの人々はまさに生き残りをかけた闘いを
余儀なくされることになったのです。
(映画「カカドゥの大地の人々より」

ベバリー・ウラン鉱山の抗議行動
Beverley Uranium Mine Protest
(video inspired by god of star)


住民のウラニウム鉱山への平和的抗議行動に
ひどい弾圧の様子が映されています。

ニュース映像、ウラン鉱山を廃止を訴える住民
Kakadu owners call for end to uranium mining
(video inspired by god of star)


アボリジニのヨネ・マルガルラさん(女性)が
ウラン鉱山の廃止を訴えています。

(1)スピリットの領域おける搾取

「ここが、鉱山開発が行われようとしているジャビルカです。
この谷のあちこちに、
アボリジニーの聖地が点在しています。
そのうち幾つかは、イボンヌによれば、
あまりに神聖であるがゆえに、
開発のためにそれが危機に晒されていても
、 ヨソ者にその聖地の存在を
明かすことも許されないほどです。 」

アボリジニーの先住民の聖地には
彼らの生活を見守りつづけた高次意識実体が
本当に存在するのだと思います。
西洋近代と科学文明が成立する時
知覚できないものを存在しないと
決めつけました。

「先住民のシャーマンは多くの場合、
精霊たちの世界へある種の旅に出る。
日常生活から失われたものを探しに
ドリーミングボディの世界を旅するのである」
『シャーマンズ・ボディ』アーノルド・ミンデル
(ミンデルは、アメリカの大学院で理論物理学を研究した後
ユング心理学を学び、プロセス指向心理学を創始)

「 ドリーミングボディ」というミンデルの言葉は、
夢見、すなわち普段のいろいろな考えごとから
解放された高次意識状態をさし、
「精霊たちの世界への旅」とは
その意識状態において
聖地に関係する高次意識実体にアクセスする
ことをさしていると考えます。

近代が成立した時に、前近代の人々が
信じてきた高次意識実体を迷信として
全面否定してきたことが、
資本主義的物質主義者たちの
お金の力よる霊たちへの侮辱を生み、
それを平然と支持してしまう
大衆の意識を形成したのだと
思うのです。

(2)
知的文化的領域における搾取

イボンヌ
「私は、森の中で生まれたの。
赤ん坊の頃は、ベビーベッドっていうの?
ああいうのは見たこともなかった。
たき火のそばで、地面の上に眠ったものですよ。
母が木の皮で揺り籠を作ってくれてね。
グンジネムっていうのよ、私たちの言葉で。
あの木、あの大きな木の皮を束ねてね、
作ってくれたんです。
出歩くときは、それに乗せてもらってね。
ベビー毛布やシーツなんかじゃなくて。」

インタビュアー
「アボリジニーのやり方ですね。」

イボンヌ:
「そう。アボリジニーの暮らし方は、白人とは違うの。
私たちは、この土地を知り尽くしてる。
この土地で生まれ、この土地と共に生きてる。
ここは私たちの土地、アボリジニーの土地ですよ、
白人のものじゃない。 」

イボンヌ:
「レンジャー鉱山が始まって、
私たちの文化や伝統は、何もかもメチャメチャ。
この上、ジャビルカ鉱山が始まったら、
もっと酷いことになるよ。
よくもこんな酷いことを。 」

イボンヌ
「私は、ミラルの文化を信じてるのよ。
ここはアボリジニーの土地で、
アボリジニーの生き方がちゃんとあるの。
白人は耳をすまして聞きなさい。
信じなさい。
いったい何回言えば分かるのかしらね? 」

アボリジニーの人々の言語、文化は
守られるきべきです。
誰もが「泣くことを強いられず」
「喜び」の中で生きてゆく社会のためには
人類のすべての文化と言語が尊重されるべきです。

サーカーは、先住民の言語や文化も含めて
「私たちの言語であり、私たちの文化」であると
とらえなさいと教えます。
私たちが一つの人類であると考える時
マライ族の言語と文化も私たちの文化的豊かさの現れであり
それが侮辱、屈辱、衰退の中にあるとき
私たちの言語、文化が侮辱、屈辱、衰退の中にあると
とらえることになります。

他者の遅れた文化ととらえる時
そこに優劣意識が生まれ
他者の自立的発達の余地を奪いながら、
自分が発展してゆくという
搾取関係が生まれます。

(参考)
サーカーの文化論

(地域固有の文化的表現の尊重)

サーカーの普遍主義は、地域固有の文化的表現の発達を
軽視するものではありません。
逆に地域固有の服装、言語、芸術などの文化的表現は、
人間性に美しさと豊かさを加えているだけでなく、
その人々の集団的強さも提供していると考えます。
その地域の文化、言語、文字などを崩そうとする
どんな試みも心理的搾取の一形態と考えます。
したがって地域固有の文化的表現の
多様なあらわれのすべてを尊重することを重視します。
花園は様々な花が咲いてこそ美しくなります。
同じように文化表現の多様性によってこそ
人類社会はより美しく豊かになります。
しかし、現実にはグローバル資本主義経済のもとで、
無分別な消費主義と後述する頽廃的なエセ文化pseudo-cultureが、
文化的表現の地域的固有性を堀崩しつつあります。
人類の文化は一つであるという観点とともに、
すべての人類の多様な文化は私たち自身の豊かさであると考え、
文化的表現の地域的固有性を大切にしてゆかなくてはなりません。
めざすべきは多様性の中の統一です。
「統合の本当の精神は、普遍的イデオロギーにもとづいて
多様性の中に統一を確立することにあります。
すなわち多くの多様な部分を等質的全体性の中に統一することにあります」
(つまり、世界中にある多様な文化や言語は
一なる私たち人類の文化や言語だから
すべて私たちの文化や言語として
豊かに発達させるべきものです。
日本文化がとくにすぐれているのだという
文化ナショナリズムがマスコミを通じて
文化人から垂れ流されているわけですが
私たちは、優劣をつけずに
地球上のあらゆる文化や言語を
学び、自分たちのものとして
豊かにしてゆこう。
多様性は私たちの豊かと
美しさを増すのだというわけです。
一つの種類の花だけの花壇より
多様な種類の花がある花壇の方が
いいというスタンスに立ちましょうと
いうわけです。
チューリップさんが
おればバラの花さんよりも
優秀なんだと
おろかなことを
宣伝しているのが
日本文化ナショナリストの
文化人だと思うのです。

そのことは自分たちの文化の意義を見ないということでは
もちろんありません。

私たちを育み、
集合体として人間としてのありようを深めたり
高めたりしてきたこれまでの文化を尊重することは
もちろんのことです。
人間を堕落させるのではなく
高める本物の文化を私たちは受け継ぎ
広める必要があります。
それをサーカーはエセ文化との闘いとして
位置づけています。)

(エセ文化は搾取者が人々の意識を麻痺させる手段)

「心理・経済psycho-economicの領域で、
人々を麻痺させる方法の一つは、文化的搾取、
すなわち低俗な映画やドラマを良き人々に押しつけることです。
ご存じのように、心は、自分自身を堕落させる傾向をもっています。
心は、上に向かうよりも下に向かう方が流れるのがより容易です。
だから、もし、ある人々によって富のために
低俗な映画やドラマを他の人々に押しつけられるならば、
その人たちの背骨は砕けます。
彼らは麻痺してしまいます。
麻痺し背骨のない人々は、将来、
文化的搾取あるいは他のタイプの搾取に対して
決して立ち上がることはできません。
知的に彼らは完全に死んでいるゆえに、
決して立ち上がることができません。
頭を上げて抗議する能力は永久に押しつぶされてしまいました。
どのようにして彼らはふたたび頭を上げることができるでしょうか。
文化的領域におけるこの搾取は、
えせ文化を広めることによってなされています。
すべての正直な高潔な理性的な人は、
このエセ文化と闘わなくてはなりません。
そして他の人もエセ文化と闘うように鼓舞しなくてはなりません。
もし、このことがなされなかったら、
人類の未来は、封印されるでしょう。
人類が政治的自由、社会的解放を求めて闘うのは適切なことです。
しかし、もし、彼らの文化的バックボーンが破壊されていたら、
彼らの闘争すべてが、何もできずに終わるでしょう。
もし、その人の背骨がこなごなになったら、
頭を直立に保つことは不可能です。
首と背中をエセ文化の重みでつぶされた人々が、
なんらかの生活の領域で頭を高く保つことか期待できるでしょうか。
それゆえ、えせ文化から潔白な人々を救うことは、
あらゆる理性的な人の義務です」
5巻搾取とエセ文化
サーカーは、知的心理的領域や
スピリットの領域における搾取関係は
結局、物的領域における搾取関係を
もたらすと述べています。

(3)物的領域における搾取

カカドゥのミライ氏族の人々の物的生活
すなわち経済生活は
その自然の中での営みが根本的に破壊され
アボリジニとしての自立的発達の道が
奪われました。

カカドゥにあるレンジャーウラン鉱山
プラウトの構想は、
全世界のそれぞれの地域を衣食住などの
生活必需品を再生産する自給圏とせよ。
そして自分たちの必要以上の生産物を
他の地域との交易にまわしなさいです。
地球の今の段階では、それぞれの地域の
生活の多様性を尊重して、それぞれの地域が
生活必需品の自給的再生産サイクルの確立の中で
発達してゆくように援助する必要があります。
地球惑星経済をそのように組織することが
経済面で「泣くことを強いられる」人が
でることを無くする道だと考えています。

もともとミライ族の衣食住の必需品は
豊かな森の中で 得ていました。
自給的で自立的な経済を営んでいました。

(「カカドゥの大地の人々」より
イボンヌ
「お金がどうしたって? 
お金は私たちを殺してしまうものなのよ。
お金を見たら、みんな大喜び。
でも私は違う。
白人は金を持ってどこかへ行ってほしい。
どうせ、後でアボリジニーから巻上げるだけなんだから。」

イボンヌ
「私たちにはお金なんか必要ない。
食べ物が要るときは、ただ行って木や地面からもぎとればいい。
ヤムイモ、ブラックベリー、グリーンプラム、すいれん、魚、亀、、、
、そんなすべてがなくなってしまうなんて。
お金と引き換えに?
そのすべてを売り渡す? 」

イボンヌさんを心から応援します。
カカドゥのアボリジニの人々がその土地と自然で
暮らしながら、自立的発達を遂げるように
徐々に貨幣経済の恩恵も受けることができるように
彼らの共同体とその文化、伝統を尊重しながら
人類の仲間として援助すべきだと考えます。

ネット上の「エコロジーオンライン」の記事の中で
ミライ族の長老マルガルラが
自分たちの土地と自然が破壊されて
しまっていること
自分たちの自立的な経済生活を失った人々が
かわりに莫大なお金をもらうことで
人間性が崩壊していることの証言がありました。

 伝統的な土地の所有者達はレンジャー鉱山のロイヤリティとして
2億オーストラリアドル以上を受け取っているが、
長老Margarulaは2005年の議会での質問に対して
「アルコールに手を出すものが多くなり、お金に関しての口論も増え、
鉱山が完全に彼らの生活を変えてしまった」と答えている。また
「水路や小川は永遠に失われ、有害な岩がうずたかく積まれ、
有害なドロで埋まった巨大な穴ができ、
彼らの土地は破壊されてしまった」とも述べた。
(「エコロジーオンラインからの引用)

さらにウラン鉱山の区域を拡張しようと会社は動いています。
それに対して、

およそ70人いる土地所有者は契約すれば
オーストラリアでも有数の長者になることは確実だ。
それにも関らず、彼らは、これらの土地が永遠に保護されることを願っていおり、
2005年以来、開発に対して拒否権を行使している。
(「エコロジーオンラインからの引用)

さらなるウラン鉱山の区域拡張で
この70人のアボリジニの人々の
土地が奪われてはいけません。
今までに土地と自然を奪われた
カカドゥのミライ族の人々に
自分たちの土地と自然が返されるべきです。
もちろん、オーストラリアの市民の中にも
こうした問題に真剣に取り組む心優しい人々が
存在することが次の映像からわかります。

ベバリーウラニウム鉱山の区域拡張に抗議する人
Protest against expansion of Beverly uranium mine
(video inspired by god of star)


南オーストラリアのベバリーウラニウム鉱山の拡張を
承認する決定を下したガレット氏に抗議する市民たちです。
この出来事はメルボルンで2009年11月12日です。
シスター・ソーラさんの懸命の訴えを聞いてみましょう。

映画の最後の字幕
「ジャビカルパでの強引な鉱山開発を支えているのは
原発を運転する日本の電力会社からの投資である。
ERA社がジャピカルパで掘り出す
ウランの大半は、日本が買うことになる。」

サーカーの『プラウト経済論』より

経済計画を現実化するために、
プラウトは世界中に社会経済単位の形成を基礎とする
脱集中decentralized)の追求を提唱します。
社会経済単位は共通の経済問題、
統一的な経済的な可能性、
エスニック的共通性、共通の地理的特徴、
人々の感情的遺産などのような要素を
基盤として形成されるべきです。
人々の感情的遺産というのは
言語や文化的表現のような
共通の社会・文化的結びつきから生ずるものです。
各々の社会経済単位は
経済計画と実行手段を完全に自由に決定します。


(注)
(この中の「エスニック」というのが
ミライ族のようなケースです。
日本語訳として「民族」と訳されますが
ネイションも民族と訳されます。

ネイションは国家をもっている民族です。
エスニックは言語、文化、種的なつながりをもっているけれども
国家権力を形成してないグループを言います。

ミライ族もエスニック集団ですが
私の理解では、中東のクルド人も一つの国家よりも
多くの人口がいますが
国家権力を形成していないので
エスニック集団だと定義されます。)


(参考1) 日豪ウラン資源開発
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%B1%AA%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E8%B3%87%E6%BA%90%E9%96%8B%E7%99%BA
日豪ウラン資源開発株式会社
本社所在地
大阪市北区中之島3丁目6番16号[1]
1980年、関西電力 50%、九州電力25%、四国電力15%、伊藤忠商事10%の出資により設立。
1982年よりウランの開発輸入を開始した。[3]

オーストラリアのレンジャー鉱山(en:Ranger)とジャビルカ鉱山(en:Jabiluka uranium mines)を所有する
エナジー・リソーシズ・オブ・オーストラリアen:Energy Resources of Australia limited(EAR社)の権益を10%保有、
オーストラリア産ウランを輸入し、日本の電力会社に供給している。[4

批判
輸入元のウラン鉱山は、カカドゥ国立公園内にあり、
先住民アボリジニの土地であることから、
オーストラリアや日本で、開発に懸念・批判がされてきた。[5]
2002年の国会で、電力会社が1970年代にナミビア産のウラン鉱石を
産地偽装で輸入する際に関係していたことが明らかにされた[6][7]。
また、" 電力会社がペーパーカンパニーに類する企業を立ち上げ、
役員は仕事をする訳でもなく名前だけで高給を取っている
、これは核燃料代金として各電力会社が負担、
即ち総括原価方式により、全部国民が支払っている家庭用電力料金に加算され、
国民が電力料金で負担している "、との指摘がされた]。
(以上、引用)

注2
写真や記事をペーストさせていただいた
映画「カカドゥの大地の人々」のページ
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/jabiluka/jabiluka1.htm
「この映画の制作にあたり、ミラル氏族の方々から
特別に許可をいただきました。
あえて慣習に反して故人の映像を解禁してまでも
この問題をひろく世界に訴えたいとミラルの人々が思ったことを
どうか重く受けとめて下さい。 」
とあります。
私もこのページを重く受け止めさせていただきました。

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ